オムロンは私が新卒で入社した会社
社長と二人並んで撮った写真を机に飾っていました
ご冥福をお祈りいたします。

あなたの投資を自動化します。
オートマチックトレード
松村博史
機械にできることは機械にまかせ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべきである。
私がオムロン時代に感銘を受け、今でも好きな言葉とし、オフィスの内装にも掲げているのはオムロンの旧企業哲学です。
私がトレードの自動化を推し進めている原動力の一つでも有ります。
久しぶりにお名前を拝見したら、こういう知らせとは・・・ショックです。
オムロン時代の私は、今から思うとまぁ生意気でしたね。
仮配属の営業研修中も、いろんなこと上申して却下されて、それでもまた違うこと上申して(笑)
先輩ももう上申やめればいいのにと見てたり。
だけど、お客様からの信頼感は抜群で、研修中なのに名指しで電話がかかってきたりして。
ちゃんと調べてお答えしたり工場とやりあうわけだから、さらにお客様から電話かかるようになって。
本配属の移動日は電話で新幹線に遅れそうになったりしました。
本配属は研究所でした。
700名がひとところで働く研究所には広い芝生の中庭があって、夏祭りがありました。
立石社長は夏祭りの挨拶に来られていたんですよね。
これはチャーンスとばかりに、ご挨拶を終えて段から降りる立石社長に、予め用意していたカメラを持って駆け寄り、「写真おねがいします!」と二人での写真を撮ってもらったのでした。
駆け寄る距離もすぐそこじゃないですよ。200mくらいダッシュです。
その写真を会社の自分の机に写真立てに入れて飾っていました。
新人の机は通路脇にあるわけで、側を通る先輩や管理職の方から、なんでこんな写真があるんだと声をかけられたものでした。
オムロンは立石家で三代続いていて、立石の姓を持たない私は社長になれることはないということで早々に退職しました。
半分はホントの理由ですが半分は嘘です。
最初から事業を興す気で入社してましたから(笑)
その後オムロンは世襲じゃ無くなりました(笑)
立石社長、好きだったな。
当時はバブルがはじけて数年目で、いろいろなことをやりかえなきゃいけない時代でした。
立石社長は大企業では若い社長でしたので、いろいろと社内に提案されていて、月一回の社長訓示を聞くのが楽しみでした。
まさにそう思う。腑に落ちるというお話を聞いて、会社の未来に自分の成長にワクワクしました。
そんな立石義雄さんが亡くなってしまった。
新型コロナウイルスに感染されたそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
私はオムロンの教えに従い、トレードを自動化する環境をもっともっともっともっと作っていきます。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
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