私が投資のシステムを仕事にするまで

大学で学んだのは物理

就職した会社はオムロン(祝日経平均銘柄入り)

配属は研究所

そんな私が投資の自動化システムを作って仕事にするまで

1552826984(注1)

あなたの投資の省力化
オートマチックトレード
松村博史

 

初めて株の取引をしている人を見たのは19歳のときでした。

当時よく遊びに行っていた布施のビリヤード場で。

オーナーの息子さん(もうオーナーだったのかな)今から思うと40歳前後。

夏休みの家族旅行に行く資金が株が値上がりした利益で出たと聞いたことです。

それから、15年が過ぎ。

当時私はフリーランスでソフトウェア開発をしておりました。

そのころフリーランスっていう言葉はなかったので個人事業主です。

幸いにもお客様は途切れなかったのでそこそこやっていました。

が、あるときふと思ったのです。

60歳になってもこのまま働いているのだろうか?

ITの業界は日進月歩。常に新しいことを勉強しなくてはならない。

自分たちの時には年金はあてにならないことを知っていたので違う収入の得方が必要だ。

そこでいろいろ考えました。

自分が大きな組織の長になる。想像できませんでした。

何をする?

そうだ、若い時に知った株の取引きで収入を得ることができるのなら、誰の手を借りることもない。

口座も開かずに株の勉強を半年間行ないました。

ソフトウェア開発のお客様が株をやっていて、よく話を聞きに行きました。

いよいよ株の取り引きを始めてみました。

株の取り引きを始めてみたら、価格の変動が気になって気になってしょうがありませんでした。

練習のために用意した50万円だったので、変動したとしても大して増減することはなかったのに。

2か月くらい経った時、これは仕事にも支障をきたす。

続けることはできないと思いました。

そんなとき友人からシステムトレードという言葉を聞きました。

自分なりに調べてみてマイルールを作り実践してみると。

楽になりました。

大きく勝つこともなかったし大きく負けることもなかったが利益が出そうな予兆はありました。

ルール通りに注文する(クリックする)ということを繰り返していたとき、ルールが決まっているなら自分でクリックしなくてもいいのではないかと思ったのです。

自分のルールを実行してくれる、いわば自分の秘書のようなツールはないものか探しまくりました。

日本にはなかった。

かろうじてアメリカにトレードステーションというツールがありました。(注2)

当時本体と価格取得は別々の会社と契約しなければならなかったり、ルールを作るのにBASICに似たプログラム言語を使っていたり、便利ではありませんでした。

ちなみに本体価格は40万円くらい、価格取得は月々2万円くらいだったと思います。

資金50万円の私にはその点でも選択肢からは外れました。

私はフリーのシステムエンジニアでありプログラムも書けたので自分だけのためにシステムを作ることを決めました。

半年かかりました。その間に仕事もしながら。

ようやく動くようになった後、4か月ほどは自分だけのために使ってみました。

ある時、このシステムは日本中の多くの人が必要としているのではないかと思ったのです。

そこから仲間を集めて事業化の道に進み始めました。

1年間の準備期間を経て2006年5月2日、オートマチックトレード株式会社が誕生しました。

 

注1 当時はこんな感じのマシンで開発していました。
注2 トレードステーションは現在日本のマネックス証券に買収され同社から提供されています。無料ですしもちろん日本の株も取引できます。

 

 

 

 

 

 

 

 

オートレ松村 について

オートマチックトレード株式会社 Automatictrade.Inc 機関投資家が行なっている自動売買も個人投資家も必要になる時代がくるとの思いから2006年自動売買関連システム専業のシステム開発会社を立ち上げる。 以来、個人投資家に自動売買サービスを提供する一方、証券会社のサービスの構築、証券会社とAPIを通じたコラボレーション、証券取引所から相談を受けたりなど、自動売買業界の先駆者として活動している。
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