それは小学6年生のとき、大阪日本橋の電気街で。
コンピュータの出始めの時代で使い方のわからぬ大人たちを背に、展示品のコンピュータでゲームのパックマンをして遊んでいました。
時代の先取り
松村博史
大阪市内の自宅から
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パソコンがまだマイコンと呼ばれていたころ、同級生に誘われて日本橋に行き始めたのがきっかけでした。
雑誌I/O(アイオー)を携えて、展示品のシャープMZ-80に向かっていました。
片方がI/Oに掲載されているBASICのプログラムリストを読み、片方がキーボードで打ち込むという作業をしていました。
開店と同時に入店して、二人で展示品の前を陣取り、雑誌を広げて打ち込みます。
BASICは英語とよく似ていますが、発音など知るよしもなく、でたらめな読み方とアルファベット読みをおりまぜてリストを読み上げます。
お昼には母に作ってもらったお弁当を、お店の階段の踊り場の休憩椅子で、当時出始めだったレーザーディスクの映像が展示として50インチのプロジェクタに映し出されているのを見ながら食べ、午後に向かいます。
だいたい午後3時か4時ころにプログラムを打ち終えます。
いよいよ実行です。
ゲームのオープニングのの音楽が流れ、いざゲーム開始っというところでプログラムは止まります。
どこかプログラムを打ち間違えています。
それをまた二人でプログラムリストと、リストの表示された画面を見比べ間違いがないか探し、直します。
この作業を何度か繰り返し、ようやくゲームがまともにできるようになります。
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ゲームで遊んでいると、背後は大人たちの人だかりでした。
店員さんも使い方がわからないので、私達はかっこうのデモンストレーターでした。
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帰宅する時間が近づいてくると、打ちこんだプログラムを保存しなければなりません。
最初の何回か、そんなことができることを知らなくて、毎回リストを打ち込んでいました。
カセットテープにプログラムが保存できたのです。
そのことを知ってから打ち込んだプログラムはカセットテープに保存し、ゲームのストックができてきました。
ですが、カセットテープの保存の信頼性は低く、せっかく保存したのに読み出せないということがよく起こっていました。
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そんな日曜日を過ごしていた小学6年生でした。たしかその夏にアマチュア無線電話級の免許も取ったなぁ。
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